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ふと落書きで半裸描いてて思ったのだが、いつもの面子だときゃあきゃあになるんだとおもうんだ。けれどかいる本人としてはデッサンというか手元や腕の復習見たいのを兼ねている。勿論描きたいから描いてるんだけど、周囲から服描いてないのは、書き手が狙わずとも美味しいものであることはまちがいない。
芸術の一つとして、作品とかの表現方法から得られた疾患のような以下ダダモらしのメモコピペ↓
肌色の所緑に塗ってみたり、線画の感じを変えてみたりってあったとして、なにこれ怖いって皆いうけれど、彼らの一部を覗いて、表現としてもありえないみたいな意見を聞くことがある。そういう感覚も絵を描く側じゃない人はまあ分かるし、そういった意見もいるしってのを踏まえてアリってことにしとく。
けれどなんていうかな…同じ絵描きだけど、デッサン狂ってる、と、見栄えからの歪みの違いとか、冒険的な色の丁合いみたいなの(好き嫌いはあるからなんとも言えないけどね、色は)あわないのはしょうが無い、個性だもの、でも否定していいものなのか…?
芸術には沢山の形があって、写真みたいな絵を書き上がる人間があるらしい。日本では「写真をとればいい」っていっているが……。その技術にそもそもの価値があるんじゃないか?
肌色の所緑に塗ってみたり、線画の感じを変えてみたりってあったとして、なにこれ怖いって皆いうけれど、彼らの一部を覗いて、表現としてもありえないみたいな意見を聞くことがある。そういう感覚も絵を描く側じゃない人はまあ分かるし、そういった意見もいるしってのを踏まえてアリってことにしとく。
けれどなんていうかな…同じ絵描きだけど、デッサン狂ってる、と、見栄えからの歪みの違いとか、冒険的な色の丁合いみたいなの(好き嫌いはあるからなんとも言えないけどね、色は)あわないのはしょうが無い、個性だもの、でも否定していいものなのか…?
芸術には沢山の形があって、写真みたいな絵を書き上がる人間があるらしい。日本では「写真をとればいい」っていっているが……。その技術にそもそもの価値があるんじゃないか?
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