×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
二七日だとばかり思っていたが二六日だったので大慌てで法要絵を描いたわけだが、神域の人気はやはりすごいなあと思った。
一応かいておくと、神域=赤木しげる。「天-天和通りの快男児-」で主人公である天貴史の存在感と全キャラの人気を一気に奪ってしまった伝説の男である。(褒め言葉)何しろ同作品はとある理由で神域の最期、その後で終わってしまうくらい存在感が凄まじい。勿論作者だけではなく、生き様や打ち回しや容姿から沢山の読者からも愛されているのだからすごい。(神眼は同作品で登場した井川ひろゆき)
他に漫画作品内で亡くなってリアルな法要を行なっているのは力石以外ちょっとわからないんだが、法要の折に相当数の参列者がいるのをみると相当の人気、というのとはちょっと違うのかもしれないが、オーラのようなものがあるもかもしれない。
話を戻す。
ニコニコやピクシブでも相当数の絵や動画が上がっているのは言うまでもなく、質までとんでもなく高い。天を読んでみるとわかるが、人気の良さは神域のかっこ良さが一番にあると予測できる。しかし同時に思うのはかつてのひろの様な、凡人として聞く言葉に打たれた人間が多いのだろうということだ。
勿論主人公サイドの一人だから凡人とはいっても読者層並の雀力ではないのだが、ひろの存在はメンタルの一部を除き非常に現実的である。自分の能力の限界を自分で決めてくすぶるような人生を送る。とんでもない強者の中に入ってしまって集中攻撃を受けることもある。そういった難関で手を延ばすのが神域の男なのだ。
手を延ばすといっても答えを教えるわけではない。ただ道を示す。一番単純で忘れやすいことを教えてくれるのである。だからこそ心に響く。
純粋にイケメンでカッコイイ、渋いっという理由のファンも多いだろう。しかしその中にも多からず少なからず天やひろの様な敬愛を抱くファンも数多い。
なんだか結論までが異様に長いのだが要するに上記の理由から赤木はもてもてなのだなあ。
PR
この記事にコメントする